【保存版】中村俊輔がシャーレを掲げる

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俊輔が五輪を決めて泣いた夜のこと

今宵は、イラクとの決戦。リオデジャネイロ五輪の出場権を賭けた一発勝負のトーナメントもいよいよ準決勝です。

対するはイラク。この世代最強との呼び声高く、難敵中の難敵と言えるでしょう。

勝てば文句なしで五輪出場が決定し、たとえ敗れた場合でも3位決定戦で勝利すれば出場権を得ることができます。

すなわち、ヨルダン、韓国とあわせた4カ国のうち、「敗者」となるのは2試合連敗を喫したチームのみ。もちろん準決勝をすんなり勝って一発で決めたいところ。

これ、決勝よりも3決のほうが、重要という稀有なトーナメント戦なんですね。3決を最後にやったらいいのにね。

高校バスケで、あの無敵を誇った能代工業が48年ぶりに秋田県王座を逃したことが話題になりました。逆に東大野球部が勝つことだってあります。 いつの時代にも、どんな競技にも、連続の絶対などありません。

にもかかわらず、アトランタ五輪以降、当然のようになったアジア予選の突破。今大会の出場権も取って当たり前、逃せば国賊。誠に割りに合わないのが五輪代表の立場です。

今宵、五輪出場を決めんとする、若き日本代表にエールを送る意味で、弊ブログは16年前のある試合を振り返ります。

1999年11月6日。日韓W杯を見据えた若手の育成の為に、A代表と兼任で五輪代表を率いるフィリップ・トルシエ監督とともに国立競技場で、カザフスタンを迎え撃ちます。勝てば自力で、シドニー五輪が決まる試合。ちなみにリオはこの時以来の南半球での五輪開催となります。

スタメンは曽ヶ端、宮本、中田浩、遠藤、稲本、明神、中田英、2トップは平瀬と福田。

覚えてますか、トルシエ代名詞のフラット3の右は中澤佑二が務め、中田英という絶対的な中心選手の影響で、中村俊輔は左サイドでの先発。映像で見ると、びっくりするくらい若い。若すぎます。

勝てばわずかに予選突破の可能性が有るカザフスタンに押され、前半は1点をリードされる展開。地力に勝る日本ですが、カザフのひいた守りを崩せません。

後半、本山(当時鹿島、今年から北九州)を投入した日本は3−5−1−1的システムに変え、中田英が当時よく使われていた表現の1.5列目。俊輔は中央でプレーするチャンスが増えます。

1−1と追いついた日本は、後半40分過ぎにセンターサークル付近から、俊輔が今でも左足で時折見せる早くて低い弾道のロングパス。天才的トラップでコントロールした平瀬がバウンドしたボールを叩きつけて、ついに逆転。

さらに43分にはゴール前21mからの直接フリーキック中田英が俊輔に譲ったとされるシーンです。蹴るのはヒデか、俊輔か。的を絞れないままだったGKは俊輔が放ったシュートに完全に逆をつかれ、ただ見送るだけでした。

5万人を超える大観衆が、シドニーの切符を確信する3点め。そしてまもなくホイッスル。

この試合のMVPに選ばれた俊輔は、トルシエ監督、宮本主将に続いてテレビのインタビューを受けます。

人の何倍もトップ下のポジションにこだわりを持っていたこの頃。インタビュアーに目が充血していると問われると、思わず本音。

サイドのこととか…。勝てて、良かったです…。そのまま、自らタオルで顔を覆う。前日に祖父が亡くなったことも明かします。

後者の事情もさることながら、選手としての忸怩たる葛藤を、観衆の前で吐露してしまう天才レフティーはまだまだ若かったのです。その16年後にも、同じ国籍のフランス人監督にトップ下を奪われてしまったのですから数奇な運命と言えましょう。それでもトップ下を取り返したわけですが。

五輪には出場を果たすものの、あのときの一つの終着駅だった日韓W杯の選に漏れてしまうのはこの後、2年半も後のこと。

今にして思えば、シドニー五輪など、長いサッカーの歴史においては、あるいは俊輔の輝くキャリアにおいては、 あくまでも通過点。

けれども、国立で見せたこのフリーキックと、涙は、このときこの舞台だからこそのものだったかもしれません。

2016年、リオデジャネイロに向かえ、若者たち。歴史の新たな系譜をつないでほしい。

朝起きてから、書き上げようと思った、俊輔クロニクル。思わず一気に書き上げちゃいました。

私は、今宵、この日本対カザフスタン戦にも思いを馳せながら、現代の戦いを見届けようと思います。

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