【保存版】中村俊輔がシャーレを掲げる

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ドゥーさんへの手紙

昨夕、ホームページのリリース「[ドゥトラ選手 7月末に現役引退のお知らせ

](http://www.f-marinos.com/news/detail/2014-06-12/163000/170730)」を見た時に思ったことは、驚きが半分と、ああ、やはりかという諦めが半分でした。

ドゥトラ。多くの外国籍選手と異なって、皆はあなたのことを、親しみを込めてドゥーさんと、さん付けで呼んできましたね。40歳、気がつけばJ1最年長。よく走り、よく組み立て、よく体を張って守ってくれました。

私が思い出す、あなたの名場面の一つは、04年のチャンピオンシップです。埼玉スタジアムで120分戦った後のPK戦でしたね。最後の最後に、あなたが渾身の力で蹴ったゴールでマリノスは連覇を決めたのです。Jリーグが100年続いても記憶に残る名シーンだと思います。あのとき、31歳。もう10年も前のことになりました。

覚えてますか、去年の40歳の誕生日。鳥栖戦でしたね。観客みんなで、ドゥーさんのお面をかぶってお祝いしました。決勝ゴールを決めたマルキと一緒に、あなたはお立ち台に登り、今日のことは一生忘れないと言ってくれました。あの日も、すごい運動量でした。

その翌月(2013年9月)、今のところ、ドゥーさんの最も最近のゴールとなる、セレッソ戦の強烈なロングシュートも頭に焼き付いてます。一瞬の静寂の後に、うわああああ、入ったああああ!!! とサポーターは大騒ぎ。その場に膝まづいたあなたの姿は神々しさしえ感じさせるものでした。生で観ることができて本当に幸せでした。

それにしても、不思議ですね。

チームの若返りという理由で06年にマリノスを退団したのに、12年に再びトリコロールに袖を通すことになった。そのきっかけはマツ(松田直樹)さんのメモリアルゲームに出場するために、来日したことでしたよね。あれがきっかけで、マリノスはもう一度あなたにオファーを出した。そう考えると、マツさんがもう一度引き寄せてくれた縁なのかもしれません。

あなたはそんなことは気にしなかっただろうけど、ただ年齢が高いというだけで、ドゥーさんとの契約に異を唱える声もありました。再加入から2年半ですか。この間、もしあなたがいなかったならば。…怖くて想像もできません。サッカーは年齢でするものじゃない。当たり前のことを結果で示し続けてくれたドゥーさんは私たちの誇りです。

マリノスタウンに練習見学に行けば、いつも顔をしわくちゃにして笑うあなたの姿がありました。スタンドにも聞こえる大きな声で「ツカレター!」とか言って、周りを笑わせていたあなた。人間的に素晴らしいだけでなく、また若手選手に勝負の厳しさを教え続けてもいた。徹底した自己管理をで、プロの背中を見せてくれた。普段のことも含めた貢献度は計り知れないと監督たちも言ってましたよね。

いまブラジル帰ればW杯も生で観られるだろうに、7月のあと5試合を一緒に戦ってくれるのもまた、あなたらしい。この後、日産スタジアムでも、ニッパツでも、アウェイでも、あなたにサヨナラを言う時間をくれて、本当にありがとう。

ブラジルの牧場で、可愛い息子さんたちとともにゆっくり過ごすのも、似合うだろうけれど、やはりあなたにはスタジアムという戦いの場が似合うと思っています。ちなみに、ブラジル、開幕戦勝ったけど、左SBのマルセロ、オウンゴール入れてましたよ。凄いときのドゥーさんのほうが、今朝の彼より凄かったと思うのは贔屓目でしょうか笑。

最後に、一つお願いがあります。

マリノスはあなたが去った後も、去年の忘れ物をこれから取りに行くわけだけれども、ここから驚異的なペースで巻き返すと、ファンの誰もが信じています。というか、勝ち続けなくてはならない。で、もし、この試合に勝てば俊輔がシャーレを掲げるという、そんな試合のタイミングが来たならば、そのときはまた日本に来て、一緒にスタジアムに行ってくれないかな。

下平も奈良輪も、これからもっと上手くなると信じていますが、まだ去年、一昨年のドゥーさんには及ばないかもな。あと1ヶ月半、彼らにドゥトラ魂を

受け継いで行ってください。トリコロールのプライドを。勝者のメンタルを。

最後の最後まで勝って、あなたを送り出したい。

誰よりも、トリコロールを深く愛し、そしてトリコロールに愛されし、ドゥトラのことを。

[{{image:520275,small}}](http://soccer.blogmura.com/f-marinos)

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