【保存版】中村俊輔がシャーレを掲げる

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シリーズ・何が起きたのか〜昨年後半から起きていた予兆

4月、マリノスは「記録的な無得点」となった。リーグ戦、5試合で月間ノーゴールという不名誉な記録が生まれた後に、嘉悦社長は補強の可能性を示唆。誰もが頭に思い浮かべたのは、得点力が豊富な外国人のストライカーだった。だが、すでにこの時は、新選手の登録が可能となるのはルール上、7月の中断明けであった。

6月となったが、まだそうした新選手獲得の具体的な話は聞こえてこない。いよいよW杯が始まるが、この大会の結果は、スター選手の移籍先を大きく左右するのだろう。マリノスはW杯に出場するような脂の乗った選手の中で狙っているのだろうか。チームにフィットさせるためには早い発表、合流が望まれるのだけれど…。

ところで、あの「得点力不足」だが、俊輔がサッカーダイジェストの誌上で指摘していたように、FWばかりの責任とは言えない。伊藤翔藤田祥史の2トップで挑んだG大阪戦、この2人がつないで1カ月ぶりの得点が生まれたが、では1トップだったからいけなかったのか、という問題でもない。

ダイナミズムの欠如。

一回の攻撃で、数回のノッキング。

その結果、横パスに次ぐ横パス、そしてバックパス。

一体、4月に何が起きたのか。仮説を立てて、後半巻き返しのキーを探してみたい。まず話は、昨年に遡る。

マルキーニョスがまだバリバリ出場していた昨年の後半、具体的には10月の甲府戦や仙台戦頃からだろうか。リーグ戦で複数得点が上げられなくなり、いよいよ得点力不足が深刻なものとなりつつあった。今も共通しているのは、主因が「決定力」不足ではないということだ。つまり、前線の選手がひどいレベルで外しまくっているのではなく、決定機を生み出す力が落ちたのだ。

相手チームの研究が進んだこと、特に指揮者である中村俊輔の自由を奪おうと、マンツーマンの強力マーカーをつけるようになった。また、マリノスの持ち味であるハイプレスを封じるために、それ以上の力でプレスをかけてきた。目には目を、作戦である。

得意な戦い方を封じられた上、俊輔の離脱が起きた。さらには夏場を乗り切ったと思われた主力選手たちの疲労蓄積。選手を固定せざるを得なかったことのツケだった。

90分の中でマリノスの時間帯は、目に見えて減るようになり、慣れた戦い方でなくなるほどに、選手たちはまた疲労がたまる。それでも、結果を出せていたときと同じ戦い方にこだわったのか、あるいは大きく変更する術を持たなかったのか。大分や磐田には勝てても、好調とされる新潟や川崎相手にはゴールを奪える予感が少なかった。貯金は底をついていたのかもしれない。

でも天皇杯は勝ったではないか。

あれは、確かにすごかった。何がすごいって、リーグ戦で精魂尽き果てたはずなのに、もう一度気持ちを繋いで、挑んだ。そういう意味で、延長までもつれた大分戦。内容はともかく、勝ち切った。

下馬評では、鳥栖有利とも言われた準決勝。後半も終わりかけ、延長が見えてきた頃に、兵藤が奈良輪が藤田が攻撃に絡んで、疲れているのによくみんなが走って勝利を手にした。兵藤の得点は2013年のマリノスらしい連動したゴールだったと言えるだろう。

そして決勝もまた、ハードワークで広島を上回った。崩したというより、ハードワークの結果、勝てた。上手く行っているときにハードワークしていないわけではないが、上手くいかない部分もハードワークでカバーした。それくらい最後の最後の力を振り絞ったのが天皇杯決勝だった。美しくはなかったかもしれないが、勝ち切った。もちろん、それはそれで貴い。

上記の俊輔のサカダイ記事には、去年の良かったイメージのままやり過ぎたというコメントがある。

それは何故なのか。変わり始めた、変わらざるを得なかったチームの思惑はどこで狂ったのか。どのようにして4月の無得点が決定づけられたのか。

考察は次回に続けます。

[横浜F・マリノス ブログ村](http://soccer.blogmura.com/f-marinos)

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