【保存版】中村俊輔がシャーレを掲げる

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後継者、司令塔、そして優勝請負人たれ。夢をかなえたレフティーの覚悟

マリノスでは背番号10のユニフォームが驚異的な売れ行きを示しています。ま、中村俊輔ブログを標榜している私が言うのもなんですが、中村俊輔ほど10番が似合う選手はそうはいないはずで、その人がマリノスの背番号10を12年ぶりに背負うのですから、私を含めたマリノスサポが踊りまくるのも無理からぬものと思います。

2010年の国内復帰以降、これまでの俊輔の背番号は25でした。マリノスの応援席にはダントツで背番号25が多かったわけです。そんな新たな「特別な番号」になりつつあった「25」を選んだこと自体、藤本淳吾の覚悟と責任が相当に強いと言えるかもしれません。藤本自身、「http://www.targma.jp/yokohama-ex/posts/2503/」と背番号への意識丸出しのコメントを残していることにサッカー選手としての純粋さがあらわれていると思います。俊輔の背番号10、復活狂想曲に隠れてしまいましたが。

中村俊輔藤本淳吾。左利きの正確なキック。ストレートにマリノスユースに昇格できなかった。桐光学園出身。マリノスという母なるクラブへの愛。厳密にはプレースタイルが違う二人を、これらのシンボリックな共通点が結びつけ、俊輔の後継者は藤本淳吾にという期待になるのだと思います。実際に今年は去年以上の過密日程ゆえに中村俊輔不在時に、ゲームメイクが務まる選手は絶対に不可欠であり、やはり藤本淳吾はそれにうってつけの人材と言えるでしょう。俊輔の「無理」が減って選手寿命が伸びる、淳吾はプレーヤーとして俊輔から学びさらに成長する、一挙両得となるかもしれません。

もちろん俊輔と淳吾の共存、という形にも期待できます。俊輔自身が昨年、MVPをとる活躍ができたことの大きなの要因として今、4-2-3-1の3の真ん中、トップ下でプレーできていることをあげています。俊輔が盤石なら、あるいはどうしても休暇をとらせるとき以外はこのシステムをいじるメリットは少ないでしょう。すると、清水で小野が加入した時のように、淳吾は右でしょうか。すると、兵藤慎剛は、齋藤学はどこでどう使うべき? 昨年より厳しいスタメン争いとなるのは間違いないでしょう。

新体制発表会では、左足が持ち味だけど、俊さんがいるのでそうも言えない。追いつけるように頑張りますとのコメント。左利きといえば、自らのブログにも「マイペースな左足」というタイトルをつけています。

ちょっと覗いてみると、マリノス移籍か、グランパス残留かと盛んに報道されていた頃、そして逡巡を経てマリノス移籍を報告した記事、それらについたコメントの数々に感動しました。http://jungo.cocolog-nifty.com/message/2014/01/post-9b74.html#comments

http://jungo.cocolog-nifty.com/message/2013/12/post-6621.html#comments

グランパスでもとても愛される選手であったということ、新体制においても最後の最後までチームの核としての役割を期待されていたということ。改めて、彼の決心が中途半端なものではないことを物語っていると思います。

経歴を紐解くと、桐光学園卒業時に「マリノスへの入団以外は、筑波大進学」と決めていたように、マリノスでプレーすることそのものが彼のあこがれであり続けたということが最大の決め手だったのだと思います。

3月で30歳、まだまだこれから。マリノスで言えば、栗原勇蔵榎本哲也、藤田と同学年。マリノスでは35歳以上がベテランですので笑、まだバリバリの中堅か若手という年齢です。一番良かったころ、2〜3年前の彼を取り戻し、さらに突き抜ける。そのときは、去年マリノスが一歩届かなかった優勝にたどり着くための重要なピースになることでしょう。

誰が呼んだか、ダブルレフティー司令塔と書かれますが、淳吾が、俊輔や中町など周りに「使われ、生かされ」どんなプレーを引き出されるのか。

約15年ぶりにトリコロールを身にまとう、少年時代からの夢がかなうモチベーションで彼自身がどれほど進化できるのか。

地元でさらに輝け。

http://soccer.blogmura.com/f-marinos

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