【保存版】中村俊輔がシャーレを掲げる

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キャンプスタート、十日町にサッカーが来た日のことを知っているか?

エムボマが率いるカメルーン代表が日本にやってきて、大分県中津江村坂本村長はその名を全国に知られることになった。大柄で俊敏そうなアフリカの人たちと、のどかなザ農村のミスマッチが面白かったのだ。

2002年、日韓W杯のキャンプ地としてカメルーンキャンプの誘致に成功したわけだが、大分はこのとき国内の誘致合戦を生き残り、W杯の試合開催地にも選ばれた。突然サッカーの中心地になった大分の盛り上がりは今ではなかなか想像できない。

このカメルーン狂想曲の陰に隠れて全国的な話題になることは少なかったがが、新潟県も試合開催とキャンプ誘致に成功した。

そのキャンプ地が、横浜F・マリノスが今回一週間のキャンプを行う新潟県十日町市の当間高原だ。メインのサッカーグラウンドには、このW杯でかの地に14日間滞在し、市民を熱狂させた国の名を記念して、クロアチアピッチと呼ばれている。

日本が初出場した98年のフランスW杯で、同国も初出場、なんと3位に食い込んだ強豪国だ。だが当時の日本は、ベッカムや馴染みのあるエムボマに夢中だったから、クロアチア十日町の蜜月が、新潟以外では大きく注目されることはなかった。

町中の老若男女が揃って、紅白のチェック柄の帽子をかぶり、クロアチアを応援した。十日町市民が日本代表と同じくらいのリスペクトと情熱を持ってクロアチア代表をサポートしたことは、監督や選手を感激させたという。

この辺りの記述はhttp://tokamachi-soccer.com/2006worldcup/06.html#01に詳しく掲載されており、ぜひご覧いただきたい。

クライマックスは2002年5月24日、後にクロアチアピッチと呼ばれることになる、ここで重要なイベントが実現した。クロアチア代表と十日町の子供たちによる「練習試合」である。対戦した子供は150人! よくまあ、W杯本番一週間前にクロアチアも承諾したものだ。子供たちの興奮と喜びはとてつもないものだったと記録は伝えている。

たった10年前に起きた素敵な出来事、大分中津江にはカメルーンとの、和歌山にはデンマークとの絆が生まれた。今もなんらかの形で生きていると信じたい。

そして、大分でも新潟でも、おらがチームが02年、03年に相次いでJ1昇格を果たした。W杯によってもたらされた熱が昇華し、一つの節目を迎えた瞬間だっただろう。

話をF・マリノスに戻したい。短期間のキャンプだけれども、地元の子供たちとの交流はあるのだろうか。そもそも、学や仁はこんな昔話を知ってるのだろうか。アルビレックスのホーム地域を荒らせと言っているのではない。150人と試合しなくても良い。

新潟に限らず、我がチームに限らず、サッカーの楽しさを伝える布教活動を、常日頃から意識してほしいなと願う次第だ。

http://soccer.blogmura.com/f-marinos

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