【保存版】中村俊輔がシャーレを掲げる

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8月4日を忘れないために

いよいよ彼はベテランから大ベテランと呼ばれる年を迎えた。

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チームの大黒柱である、中澤佑二の1学年上、中村俊輔の2学年上である。ドゥトラの引退、マルキーニョスの退団に伴って、マリノスの最年長選手となった。

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急性心筋梗塞。もし彼があのとき命を落とさなかったら。そして、JFLの環境に戸惑い続けてもなお、彼の活躍が松本をJリーグ昇格に導いていたとしたら。

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やがてその活躍に考えを改めたマリノスは、世間から厚顔無恥と罵られながら、彼に再契約を持ちかけなかっただろうか。ミスター日産自動車木村和司だったが、トリコロールのマリノスはほぼそのまま松田直樹を意味していたからだ。

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松田直樹、今年の3月に37歳になっていたはず。専ら出場はボランチサイドバックを命じられたとしても彼は、トリコロールをまとって戦うことに誇りを持っていただろう。だからマリノスが不甲斐ない戦いをした折には厳しく、勝利には誰よりも喜びを爆発させる。そもそもサッカーができることを噛み締めるかのように。

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なのに、彼はいない。

2011年8月4日の旅立ちから3年が経った。なぜ、どうして。その答えはない。

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こうした悲劇を繰り返さないように、AEDの講習会や親善試合の開催を通じて、「一般社団法人 松田直樹メモリアル」は、AEDの普及を呼びかける。先月はフクアリで「第1回 NEXT GENERATION マッチ」が開催された。松田直樹を語り継ぐ活動はいまも続いているが、私の調べた限りでは、例えばYahooのニュースで「松田直樹死去から3年」などと報じられたりはしなかった。少しずつ松田直樹の記憶は多くの人から消えてしまうのだろうか。あと5年もすれば、マツのことを知る選手はチームにいなくなってしまうのではないか。

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そうならないための、大切なことの一つは、彼が愛したマリノスが強く、逞しく、多くの人に愛され続けることではないだろうか。マリノスが偉大であればあるほど、Jリーグで初めて永久欠番となった3番の価値も色褪せないことだろう。

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8月4日を忘れたくない。

そんな一日の終わりに、ナビスコ杯の決勝トーナメントの組み合わせが発表された。ドロワーの伊藤翔が引き当てた相手は柏レイソルだった。

ディフェンディングチャンピオンであり、去年の準決勝では、日立台で4点差の惨敗を喫した相手でもある。

さらに3年前の松田死去後、最初の試合で戦い、勝てなかったのもレイソルだった。「ちゃんと倒してみろよ」、彼のちょっとしたイタズラな気もする。

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強いマリノスを、みんなに、彼に見せてほしい。それにはいい相手が決まった。

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9月3日、ニッパツ。9月7日、日立台。強い柏を倒して、上に行こう。

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